Vol.1
日の目みる/埋もれている水田に埋もれている海
丁度その時、大岡川に一羽の黒い鵜が飛び降りた
すーっと水面を滑って行くのを目で追っていたが、わたしが何か別のところに気を取られているほんの一瞬に、波紋を残して消えてしまった
きっと潜ったのだろう、姿を表すのを暫く待っていたが、鵜が再び現れることはなかった
かわりにくらげが姿を表した
くらげは流れに身を任せたり、くるくると身体を回転させたりしていた
やがてひとつ、ふたつとくらげが姿を現し、一面くらげだらけになった
それは、瞬く間にして現れた水たまりで、川ではありません
大正十二年九月一日、地震発生とほぼ同時にこの辺り一帯、一直線に地割れが走り、そこに水が流れ込んだのです
水道管が破裂したのです
鉄道を引くために掘り返された空洞に、流れ込んだ水です
令和元年五月十五日、朝、バケツを持って日の出湧水を汲みに行くと、水が止まっていた
すぐ近くの道路が掘り返されていて、水道管が見えていた
近くにいた警備員が、古くなった配管を交換しています、夜には水がでます、と教えてくれた
これは対岸の話なのだけれど、
対岸といってもその川のすぐ向こうが海だった頃の話なんだけれど、
その海は天神坂の土を削って埋めたんだけど、だからこっちの容積があっちに移ったわけなんだけど、
そもそもこの川も海だったわけで、上流の笹下川と日野川の合流地点より下は大岡川、
でもこの辺りは海だった、大岡川が注いでいた海だったわけで、でもまあ海は退いていて、成分は川なんだろうけど、
ああ、なんだか面倒くさくなってきたから、これは対岸の話
丁度その時、広場で寝ていた男が、シャツを脱いで、日の当たる場所で横になった
脱いだ靴を枕にして、被っていた帽子で顔を覆った
肌が、日に焼かれて真っ赤になっている
眩しくて何も見えない
埋めるとき、わたしはもうこれで忘れられるんだと思って、埋めた
もう見たくもないから、もう触れたくもないから、もう忘れてしまいたいからと思って、埋めたんだった
でも違った
じいちゃんは、ばあちゃんが死んだ時、仕事道具を全部庭に埋めた
金槌もカンナも、工具一式を埋めて、毎日仏壇の前で泣いていた
ばあちゃん、すまんかった、堪忍してくれ、ばあちゃん
三ヶ月くらいしただろうか、少しずつ元気を取り戻していったじいちゃんは、庭に埋めた工具を掘り返した
地域のボランティアクラブに参加するそうだ
掘り返した穴にじいちゃんはレモンの木を植えた
すぐに戻ると思っていたのに、今日もまた川は赤い
ぷんと磯の香りがする、海から何かが流れ込んできている
今日は川上が普通だった、普通の川に今日もくらげが泳いでいる
ずっと埋めてしまいたいと思っていました
無かったことにしてしまいたいと思っていました
気温が急に上がって、プランクトンが大量発生してるんだと、通り掛かりのおじいさんが教えてくれた
これが過剰になると赤潮になる、逆に気温が急に下がると青潮、
死んだプランクトンの大量の死骸が魚のエラを塞いでしまう
おれは月を見て釣りをする、月が高く上がる日は干潮差が大きいからよく釣れる
おれが釣ったスズキ、見るか?ほら、ここで釣ったんだ
スズキにクロダイ、ハゼ、ハゼはもうだめかもしれねえな、
最近はずっと月が低い
宇宙に衛星なんか飛ばすからこんなことになっちまった
ここは海だもんね
あいた穴に埋めてしまえばいつかすっかりわからなくなる
なにが埋まっているのか、なにを埋めたかったのか
でも違った
新しい趣味をみつけなさい、新しい髪型にして、新しい服を着て、新しい町に出て、新しい仕事をして、新しい出会いを探しなさい、
その新しくなったわたしは誰ですか
人は傷つくたびにそうやって自分を脱ぎ捨てて新しい表皮で生きていくんですか
信じられない信じられない信じられない
海の成分、川の成分、涙の成分、
この町の心療内科の待合で流した涙の成分は、海みたいだ、
海みたいだ
この辺りで1番古い建物、教えてやろうか?
あそこにある公衆トイレ、アレだよ
アレは空襲でも焼けなかったんだ
<了>
埋もれている水田に埋もれている海
2019/碗、海水、紙
日の目みる
2019/和紙、線香