作家の母はあらゆる痛みから逃れるために宗教にのめり込んだ。痛くて痛くてたまらないけど使える手と、もう痛くない代わりに一切使うことができない手と、どっちがいいんやろうかと、リウマチでねじ曲がった母の手を見て思う。使える、というのにはもう壊れすぎていて棒きれみたいな母の手。壊れた手と手を擦り合わせて神様仏様を拝む「母の信仰」は、その手が大事にしていたはずの物を壊し、大切にしまっていたはずの物をどこにしまったか分からなくしてしまったように思えた。母の手が蝋燭に火を灯し線香に火を点ける。「私は透明だから心が宇宙から見えている」と母が言う。小包装された防虫剤の中身がいつの間にか消えているように、気づいた時にはもうなくなっているんじゃないかと思って、いつしか作家は、母に見えている何かを見ようとしていた。
作家は、「米」をモチーフに制作を続けている。一粒の籾種が千の米を実らせることに無限の広がりや永久性を感じて制作を始めた。
作家が主に制作する作品は、紙を線香の火で米粒の形に焼き抜いて穴を開けた作品、磁器土を用いて米粒の形を成形し、それを布に縫い付けた作品、ご飯をよそうお茶碗を用いたパフォーマンス作品などだ。
「米」をモチーフに制作を始めてから16年が経ち、自分の行いを振り返った時に、作家は気がついたことがある。
家族写真をプリントした紙を線香の火で、米粒の形に焼き抜いて穴を開け「母の信仰」の眼差す先にあるものを見ようとするその行い、創作した作法に則って道に食器を並べ、音を鳴らし、また仕舞うその行い。
母は、火を灯した線香の煙の行方を見つめ、日々の運勢を占っていた。母は、テーブルに幾つものコーヒーカップを並べ、見えない誰かをもてなしていた。
その行いと何が違うのか。
苦しみから逃れるために藁をもすがる思いで擦り合わせた手と、制作にのめり込んだ「わたし」の手の、その何が違うのか。
母はあらゆる痛みから逃れるために宗教にのめり込んだ。
作家の「制作を続けるという行い」は、いつしか個人的な信仰となった。
第1部
「本当に書いた覚えのない文章が出てきたのですが、何かを書き写したのでしょうか? 何かの本を書き写して自分が書いたと思い込んでいるのかも知れませんが、わかりません。
もし誰かが書いた文章だったら、教えてほしいです。これは一体誰が書いたのでしょうか? 本当にわたしが書いたのでしょうか…… 」
1
眠ることを恐れているのかも知れません。
眠ると、記憶が整理されると言いますが、そうやって、記憶が、どんどん自分の都合のいいものに整理されて行って、忘れてしまう。本当のことを忘れてしまう。
でも、起きていても同じことです。すぐに忘れてしまうのだから。階段を上って、何を取りに来たのか忘れてしまう。週に二回、スケジュール帳を無くしたんです。一度無くして、新しく新調してまた無くしたんです。どこに置いてきたか忘れてしまう。しばらくして、もう年度も変わった頃に出てきた時には、無くしていたことも忘れていました。
どうでもいいことは毎日忘れていくのかも知れません。でも、どうでもいいことってなんでしょうか。今考えていることがどうでもいいことかどうか、どうやったらわかるんでしょうか。それでも、本当のことは、忘れたくないと思うんです。
本当のこと。
本当のことってなんでしょうか。眠って、整理された記憶は、昨日あった本当のこととは少し違うものかも知れないけれど、今日のわたしの脳が整理した本当に思っていることなんです。その、少し違った昨日のことが、また明日、その日わたしが整理した記憶になる。毎日が本当のことであることと、本当にあったことは、一体どちらが、今、本当のことなのでしょうか。
眠剤が増えました。耳栓をして、アロマを炊いて、薬を飲んでベッドに入ると、すぐに眠ることができます。だけどきっかり三時間後には目が覚めて、朝まで眠れません。朝まで、さっき夢で見たことを考えます。しっかりと覚えていますが、昨日あったことはもう、別のものになってしまったと感じます。朝になって、やっと眠気がやってきますが、もうあまり眠る時間がありません。それでも目を開けてはいられなくて、わたしはやっと熟睡します。
今日寝坊した理由は以上です。
2
昨日や今日のことでさえそうなのに、あの時のことは、果たして本当にあったことなのでしょうか。もうずっと会っていないあの人は、今、どこでどうしているのか、S N Sも頼りにならない、警察の立ち合いの元、日記も消してしまいました。考える術もないあの人は、本当に存在していたのでしょうか。わたしが受けた治療が、そういった物だったのだから、仕方ありません。わたしは罪を犯しました。だから忘れることを、社会が希望したのです。
治療は成功しました。わたしが罪を犯すことはもうきっとありません。ただ、わたしは中途半端に記憶をなくし、一部を残してしまいました。完全に消してしまうことができなかったのです。きっと、もうそれはわたしの背骨になっていました。生身の魚から背骨を抜き取ることができるでしょうか。それは死を意味します。わたしは生きるために、本能的に、全てを消し去ることができませんでした。人が言うように、或いはあらゆる本に書かれているように、わたしの感情は愛ではなく執着であったのだとしても、背骨になりました。だからそれが私の身体を支えていることは、事実です。
3
馬鹿だな。早く忘れてしまえよ。作品になんてするんじゃない。考え続けているから眠れなくなるんだ。早く楽になってしまえ。そうしないと、もう次に進むことができなくなるよ。ずっとそこに居るつもりなの? 何年も同じ場所に? みんなが前に進んでいくのを、同じ場所からずっと眺めているつもりなの? 小さくなっていく背中を見て、どんな気持ちがする? 誰かが振り返って、助けに戻ってきてくれるとでも? 馬鹿だな。みんな、前にしか進めないんだ。もう過去に戻ることは誰にもできない。立ち止まっているその場所で死ぬか、進んだ先で死ぬかの、どちらかなんだ。その場所にはもう誰もいない。
あなたは進むしかない。ゆっくり進んでいる人もいるから、その人に追いつけば、助けてもらえるかも知れないし、あなたがその人を助けることができるかも知れない。
眠ればいい。眠ることは、停止することじゃない。眠れば朝がくる。そうしてまた夜が来る。そうやって進んでいくしかない。同じ軌道にのって、23.4度に首を傾げながら回る地球の上で、毎日違う光や風、温度や湿度に翻弄されながら、環境に適応しようと行動するしかないんだ。
本能的に真っ直ぐ太陽を見ようとして、首を傾げた地球の上で。
4
眠れなくても朝は来る。それは知っての通りです。太陽の周りを自転しながら公転する地球、満ちては欠ける月も、知っての通りです。わたしは置いてけぼりを恐れているのではなく、さっきも言った通り、本当のことがわからなくなることが怖いのです。目の前を歩いている誰かのことには関心がありません。助けはもう必要ありません。十分助けてもらいましたから。今度は私が助ける番でしょうか? それが正しい行いであり、善であり、美であるのなら、そうしたいと思います。ただし、それによって、自分が救われようという考えはありません。してもらった分してあげる。そんな傲慢な考えもありません。
それは、母に対しても同じ感情です。生んで育ててくれた恩を返すことが美徳とされていることが、どうも腑に落ちません。何かをしてもらったから、何かをしてあげるという考え方が、わたしは好きではありません。何かをするときは、わたしの心が勝手に身体を動かすものだと思います。親孝行をする、という考え方は、わたしにとって社会に向けて行う偽善です。それでも、母がわたしを生んだから生きていることは、本当のことです。わたしが生きている限り、それを忘れることは生涯ありません。
5
あの時の記憶が今、違うものとなり、本当でないとしたら。あの時が本当で、今が間違いだとしたら。あの時、わたしの感情が間違いであったために招いた結果が本当であるなら。あの時が間違いで、今のわたしの行いが正しいものだとしたら。本当にあったことを正しく記憶することができず、整理された記憶が間違いであるとしたら。正しいこと、間違ったこと、本当のこと、本当でないこと。それらがわたしを混乱させました。
例えば、誰かに好意を抱いたことを、その感情をないことにしたいとき、相手を嫌いになることで好意を消し去ることだけは、避けたいと思っていました。結果、相手に嫌われました。
6
朝目が覚めた時、太陽が二つ見えた。
眩しくて目を開くことができない。
わたしは寝る時、服を着ない。わたしは寝る時、耳栓をする。
全身に太陽の光を二つ浴びて、わたしは理解する。
わたしは汗をかいている。耳の奥でわたしの中を流れる血の音がする。
多分もう眠ることができない。
目が覚めてしまった。
裸でかいた汗は海になる。海はわたし。わたしの流した汗。
わたしはそこに帰らないといけない。
どうしても理解できないもののところへ還らないといけない。
そして本当にわかってしまった。
全身に太陽の光を二つ浴びて。
鏡が反射する。カーテンを閉め忘れた窓の外の太陽を反射する。
あなたの中にわたしがいる。無数のあなたの中に、無数のわたしがいる。
「私、コーヒーカップを幾つ用意すればいいんか、わからへん」
わたしは目を瞑って数を数える。
一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ……
無数のわたし、無数のあなた。
わたしは理解する。あなたが裸になるわけを。
わたしは理解する。あなたが幾多の見えない人と会話する理由を。
あなたは分裂する。太陽を二つ見る。この世に幾つも存在する鏡。その中であなたは幾つもの自分自身と対峙する。
やがて、あなたはあなた自身を見失う。
7
「そもそも、一人ではない。二人から分裂して、さらに二人。そこからまた分裂して、さらに二人。相手がいなければ、増えることはなかった。相手の中にいる私。私の目は四つ。
虫は綺麗やで。薄い膜を纏っている。ゴキブリは人間より綺麗。沢山脚がある。いつも裸で歩いている。本当に綺麗なものは目には見えないものを纏っている。そして人間の中に綺麗なものはありません。本当に綺麗なものは人間ではありません。服を脱いでも見えません。本当はその外側にあるということを、誰も理解していません」
お母さん、お母さんのクローゼット。安物の服がいっぱいのお母さんのクローゼット。もう収まりきらなくて増えるタンス。衣紋掛けはその重みに耐えかねてベッドに倒れたままになっている。それでもまだ、足りない。纏わなくてはいけない。
「私の数だけ、形を変えなければいけない。私の中で私を操作する、電気信号が唯一見えているのは、天。宇宙からは私が見えている。私は透明。私は纏わなければならない。なぜなら脱がなければならないから。私は裸になるために、纏わなければならない。何度も形を変えていかなければいけない」
8
そして母は、「ひじ引っ張って」と何度もいう。毎日いう。母のベッドで添い寝をしながら、ひじを引っ張る。どんなに引っ張っても伸びない、関節が固まってくの字に曲がった母のひじを、わたしは、もぎ取ってあげたい。母が眠ると、わたしは冷たくなった足をあたたかい母の足にぴったりとくっつける。途端に怒鳴り声をあげて、わたしを蹴り落とす。ベッドとタンスの間のわずかな隙間に挟まって眠ると、とても落ち着く。背骨が床に当たって、
気持ちいい。
第2部
1
忘れてしまわないように書き留めていたのに、いつも無くしてしまう。引き出しの中にしまっておいたはずなのに、ない。代わりに見覚えのないキラキラした丸いシールが見つかる。机の引き出しの中、いつも使う椅子の裏、本棚の隙間、気が付かないようなところには必ず貼られている。祖父は大事にしていたカメラを無くし、父はたった一枚しか持っていない、父の両親の写真を無くした。
忘れてしまわないように、祖母が入院中に書き留めていた手記が祖父の居間にある引き出しから無くなっている。祖父の手帳は新調してもいつもすぐに無くなってしまう。親族の連絡先を書き留めた手帳は書き写しても書き写しても、すぐに無くなってしまうから、田舎の親類から、旧友から荷物が届くたびに、伝票をめくり束ねて輪ゴムを掛けて水屋の奥にしまっておいたのに、それも無くなっている。
おかしい。アルバムから写真が無くなっている。どんどん、どんどん無くなっていく。
母が捨ててしまう。何度も捨てられているのに、母の手がそれらを捨てる瞬間をわたしたち家族は一度も見たことがない。だから、本当のことはわからない。
2
わたしが高校二年生の春から夏にかけて、母は二度目の入院をした。母が退院して帰ってくる前日に、飼い犬のチャンクが死んだ。その夏、母はよく家電を洗った。二階のベランダでテレビやオーディオ機器を洗い、もちろんそれらは壊れて使えなくなった。二学期が始まり数日が経った頃、制服が無くなった。どこを探しても見つからず、クリーニング屋にも預けていない。結局新しく買ってもらったが、それ以来なんとなく学校に行くのが億劫になり、さぼりがちになった。
母は夜中大音量で音楽をかけているが、父は気にもせず眠っている。今思えば、印刷工場で働いていた父は耳が遠かったから、本当に気にならなかったのかもしれない。母の部屋のほぼ真下で眠る祖父は夜中に何度も2階へ上がって来ては母に注意をした。母は暗く照明を落とした部屋のベッドの上で、ひじの曲がった両腕を上げ、上半身だけを動かし踊っていた。わたしは朝になるまでリビングのテーブルの上に紙を広げて、空想する物語や絵を描いて過ごしていた。テレビで大リーグやテニスの試合中継を見ていることもあった。朝方になってわたしはようやく眠る。父は普段着るものはビニール袋に入れて持ち歩くようになった。全て捨てられてしまっては困る。
大抵、無くなっていることに気がついてから、大切にしていたのにと悔やむけれど、すぐに気が付かなかったくらいだから、本当に大切なものは毎日着る衣服で、何度も聞いたレコードや旧友と撮った写真、時々引っ張り出してきて聴いたり見たりするそれらは、思い出すためにあったのだろう。父は2歳の時に亡くした父親の写真、8歳の時に亡くした母親の写真、若い頃友人と撮った写真、長く勤めた印刷工場時代の写真は全て捨てられ、一枚もない。
3
専門学校を卒業し、石川県の旅館で住み込みの仕事を始めたころ、祖母が入院した。翌年の春に祖母が死に、わたしは一旦実家に帰り、一時期実家で過ごしていた。その頃、実家に電話をかけてきた友人が、祖母と話をしたと言う。祖母はもう死んでいないのでもちろん電話に出ることはない。母はその頃から度々、祖母になっていた。祖父は母をまた精神科に入院させようとしたが、父は嫌がる母を無理やり入院させることに反対し、結局入院することはなかった。その頃から母は、東京に住む妹夫婦(わたしの叔父母)に度々迷惑行為をするようになった。父への罵倒もますますひどくなる一方で、祖父が母に手を挙げることも頻繁にあった。わたしは再び実家を出て、淡路島のホテルで住み込みの仕事を始めた。淡路島、直島、高野山、豊島、大分、佐賀、気の向くままに好きなところに住み、アルバイトをしながら制作を続けていた。
4
母から解放され、自由に過ごしていても、時々爆弾のようなメールが送られてきては気持ちを引き戻されることがある。
「今まで、ゆわなかったですけど、パパとの事ですか、じつは、彼は若い頃から、薬物をしていて、結納のひにも、覚醒剤を打ってきて、新婚旅行でも、無理やり、コカインハーティに、参加されて、30歳の頃には、ひどい性的暴力をされ、それがおさまると、今度は酒乱になり、あなた逹がいない時、毎日怒鳴られました。何年もの、長い間、そして、アルコールせいの、心筋梗塞になり、しばらくお酒を止めていましたが、また飲み始めて、最近では、とつぜん、殺したると、言って暴力を三回もされ、あまりに、怖いから、警察に来てもらいました。しかし、本人は酒乱だから、そんな事はなかったと、言って話しになりません。
先日から市の包括センターの方に、相談にのって、もらっています。将来必ず離婚するつもりですが、養子さんなので、難しいんです。もう、30年我慢しましたけど、精神的に限界なんです。
こんな事を、言って、心配かけてすみません。かずには、迷惑をかけませんので、ママの本心だけ、知っておいて下さい。ごめんなさいね。」
わたしに残っている心配は、もう一つもなかった。お願いです。死んでください。
そのメールを最後に着信拒否設定をし、母からの連絡を断つことはできたが、実家には人質のように父がいる。祖父がいる。愛犬とうさぎがいる。兄は結婚をして家を出た。
5
時々父に連絡をしては、母が近所に迷惑をかけて度々通報されていること、車に乗って出掛けて、どこかに車を捨ててきてしまい、父が地図を手に方々の駐車場を探して回ったことなどを聞く。その都度、妙な感覚があった。わたしは今、とても安全な場所にいて、友人に恵まれ、好きなことができている。わたしにはわたしの人生があり、母には母の、父には父の、それぞれの生き方は自分自身で選ぶものだと思っているけれど、父のことを思うと、妙な感覚になる。
6
2020年、正月過ぎに帰省した。五泊ほど実家にいる予定だったが結局二泊で帰ることとなる。帰りの夜行バスのチケットが無駄になったうえ、クレジットカードで新幹線の切符を買ったので出費が嵩んだが仕方がなかった。
その日、片付けた荷物を下に下ろそうと大きな段ボールを抱えて階段を下りている時に、何かを踏んで階段を滑り落ちた。一瞬何が起きたのかわからなかったが、気がついた時には母の罵声を浴びていた。母の鬼のような形相を呆然と見る。
「この罰当たりが! なんて事してくれたんや!」
見ると、割れた湯呑みが散乱していて、手にぐっさりと破片が刺さり、血まみれになっている。母が家中のあちこちに祀っている神様仏様にお水やお茶をあげるための湯呑みの乗ったお盆を、よりにもよって階段の真ん中に置いていたようで、それをわたしが踏んだのだ。段ボールの重みよりも、手の痛みよりも、打ちつけた腰や頭の痛みよりも、怒鳴り続ける母に呆気を取られていた。わたしは冷静だったと思う。立ち上がると、風呂場でさっと傷口を洗い、戸棚の中にあった小さい絆創膏を傷口に貼り、祖父に「帰るわ」とだけ挨拶をして、荷物をまとめてすぐに家を出た。仕事で不在だった父にはメールをしておいた。
7
それからしばらく、実家から足が遠のいていた。その間に犬のチェリーちゃんとうさぎのルンちゃんが死んだ。
2023年3月、父から腰の骨を折ったとメールがあった。何度か電話をかけたがなぜか出ない。心配になり、一泊だけ帰省することにした。
迎えに来なくてもいいと言ったのに、父は車を運転して新大阪まで迎えに来てくれた。「コルセットしているから大丈夫や」と言う。久しぶりに会う父は少し痩せて小さくなったような気がした。父は週に五日、始発で二時間かけて西宮の病院に通い、午後三時まで掃除の仕事をしていた。仕事中腰が痛いと思いながらも休まずに出勤し続けていたが、一向に良くならず、休みの日に整骨院で診てもらったところ、圧迫骨折していることがわかったそうだ。コルセットが出来るまでの一週間の間は安静にしていたと言うが、母に食べさせる食事を用意し、洗濯をし、その間も無理をしていただろうと思う。
家に着くと、一階の居間で祖父と母が待っていた。テーブルの上には卓上コンロと鉄鍋が用意されていた。父はわたしが帰る時、いつもすき焼きを作ってくれる。ソファに腰掛けている母は、穏やかな顔をしていた。顔は薬の影響かまんまるに浮腫んでいる。わたしを見るなり、「かずちゃん、かわいいね」と言った。
夕食後、風呂に入っている時、父の怒鳴り声が聞こえてきた。
「何してるんや、いつまでそんなところにおるんや、立て!」
急いで風呂から上がると、母が階段の前でうずくまっていた。階段から落ちたらしい。「ええかげんにせい、立て!」
うずくまりぴくりとも動かない母に向かって、父はまだ怒鳴り続けている。父はわたしに気が付くと
「かずちゃんごめんな、今日ママ下で寝かせるわ。一緒にかついでくれるか?」と言った。コルセットをした父と一緒に母を持ち上げ、一階の八畳間に布団を敷いて寝かせた。
「大丈夫なん? 救急車呼んだ方がええんとちゃう?」
「大丈夫や。怠けとるだけや」
母は翌朝も起き上がることができず、父はようやく救急車を呼んだ。肋骨を骨折しており、そのまま入院することとなった。
8
2023年3月19日、仕事を解雇され、生活保護受給者となった。受給が始まった途端に、確定申告をした還付金が入り収入を得たので、6月まで給付がストップした。借金の返済や病院代も嵩んでいたので、実家にある本や衣類をかき集めて売るために、6月、再び帰省した。
母は最初に運ばれた病院を5月に一度退院したものの、今度はトイレで転び足首の骨を折り、再び別の病院に入院していた。父は毎日必ず二時に面会に行っている。面会時間はきっかり15分と決まっていて、毎日母の好きな缶コーヒーを買って差し入れる。一緒に面会に来てほしいと父に頼まれたが、わたしは風邪を引いているふりをして断った。
実家に帰った夜、母の寝室のベッドカバーをめくると、黒い革製の小さな手帳が出てきた。カバーに2022年と金色の文字が刻印されている。祖父の手帳だった。祖父に返すと、昨年探していたものだと言う。
友人の結婚式に着て行ったドレスを探すために開けたクローゼットからは父の診察券が出てきた。父に渡すと、去年探しとったやつやけどもういらん、とのこと。同じクローゼットの隅にはタオルでぐるぐる巻きにされた包丁も出てきたが、それは何となく父には言わず、そのままにしておいた。
母の部屋にはキングサイズのベッドを囲むようにして、いくつものタンスやクローゼット、衣装掛けがある。足元には籐織のバスケットが沢山置かれており、その中にも大量の衣服が入っている。
一番奥にあるクローゼットから探していた薄いベージュのドレスは見つかった。その右奥からピンク色の封筒が出てきた。赤い字で「原稿」と書かれている。母の私物であることは確かだったが、わたしはそれを躊躇することなく開封した。
「神様、仏様と出会わせて頂いた私の半生」と題された手書きの原稿用紙の束、そのコピーの束をホッチキスで留めたもの、自費出版の契約書、出版社への手紙、出版社からの回答の事務的な書類などが入っていた。やり取りの内容から母は結局自費出版を諦めたようだった。
母の原稿をわたしはその場では読まずに、そのまま一式、背負ってきたリュックサックに入れ、横浜に持ち帰ることにした。
翌日、母の面会に行った。病室は水色のカーテンとカーテンの間の細い通路に窓からの光が差し、意外にも明るい印象を受けた。病室の窓際、一番明るい場所が母の居るスペースだった。
母の顔は浮腫んでいたが、表情はやわらかく、にこにこと嬉しそうに微笑んでいた。母の両頬と顎の下から、三本長いひげがひょろっとはえていて、思わず笑った。
カミソリがないと言うから、爪切りで伸びたひげを切ってあげた。カサカサの足の皮膚にクリームを塗り、ぼさぼさの髪をブラシで梳かす。
15分の面会時間はあっという間に終わり、実家に戻り、明日も面会に行く父に女性用カミソリとヘアゴムを用意して渡した。
長かった三十数年の間に起きたことが、もうずっと遠くの方に行ったのだと、感じた。
9
2023年8月、今年三度目の帰省。18切符を使い、ゆっくりと12時間かけて実家に到着した。母は退院して家にいた。下唇がざっくりと切れて、腫れ上がっている。どうしたん? と聞いても、わからへん、と笑っている。母は杖をついて歩いては転んでしまうので最近はずっとベッドで寝たきりになっているようだった。寝て起きて、食べて、排泄をする。時々部屋でテレビを見たり、音楽を聴いたりするものの、話しかけても言葉がうまく出てこないのか、口の中でまごついている。それでも、表情はいつもにこにこと微笑んでいて、眉間に皺を寄せて鬼の形相で喚いていた面影はもうかけらもない。浮腫んでパンパンの顔でにこにことし、わたしの他愛無い話を頷きながら聞いている様子は、赤児のようだった。
母の手は蓮の花の蕾のように、指先がすぼんで丸まっている。手のひらを天に向けて返すことももうできないくらいに手首も手指の関節も強張り、固まってしまった。
何か大切なものを握りしめているかのように柔らかく握りしめられた、赤児の手を思い出した。ちいさな手に触れて、指先を開いてパーにしてみても、またすぐにグーに戻ってしまう、赤児のちいさな手。
玄関に、階段に、風呂場に手すりが取り付けられ、今回帰省した際には狭いトイレの中にも手すりが取り付けられていた。以前、子どものいる友人宅に遊びに行った際、あらゆるところに転落しないようにと木製の柵が取り付けられているのを見たことがあるけれど、それによく似た光景だ。
人は生まれてすぐには立ち上がることもできず、すやすやと寝息を立てているだけで、やがてころころと転がるようになり、ハイハイができるようになり、いつの間にかつかまり立ちをし、一人で立ち上がれるようになって、歩けるようになって、走れるようになって、大きくなった頃にはもう木製の柵はないから、遠いところにも行けるようになって。あちこちにぶつかって、怪我をして、泣いても笑っても一人でうずくまっていても、また立ち上がり、歩いて、走って、歩いて、歩いて、歩いて……
杖、オムツ、一日のほとんどを過ごすベッド。年中カーテンが閉ざされた薄暗い部屋で眠る母。ぬいぐるみ、枕、クッションが幾つもある。わたしはそれらを避けるようにして、どっしりとベッドに沈み込んでいる母の横でその夜、眠ることにした。
そっとひじに触れてみると、熱を持っていて熱かった。ピンクのクッションに顔を埋めて鼻から大きく息を吸い、染みついた尿の匂いを嗅ぐ。顔を上げると母はうっすらと目を開いていて、にこにこと笑っていた。
第3部
「神様、仏様に出会わせて頂いた私の半生」高野山真言宗宝亀院支部 仁瞳教会 安部仁瞳