右心室・左心室

 私には入れない部屋があった。間にある部屋は間違えて入ったけど何もなかった。そこをずっと行ったり来たりしていたけど、途中でやり直した。遠回りしないで行き来できるように直したけどどこをどうやってやり直したか、もう覚えていない。

 まず、全身で使われた血液を回収し、肺に送り肺で酸素化して赤くなった血液を再度心臓にもどし全身に送る。心臓は強力な筋肉でできたポンプで、正しい方向に効率よく循環させる為に4つの部屋で出来ている。

それは、右心房(D-3・二階)右心室(D-3・一階)左心房(D-1・二階)左心室(D-1・一階)という4つの部屋である。

 全身で使われた血液は主に上半身から上大静脈、下半身から下大静脈を通して右心房(D-3・二階)にたどり着く。右心房(D-3・二階)から三尖弁を通って右心室(D-3・一階)に行く。右心室(D-3・一階)から肺動脈弁を通って肺動脈に行き、肺(D-2)に到達する。そこで、呼吸している肺(D-2)で酸素を取り込み赤い血液となって、肺(D-2)から肺静脈を介して左心房(D-1・二階)に到達する。左心房(D-1・二階)に入った血液は僧帽弁を通じて左心室(D-1・一階)に入り、大動脈弁を介して大動脈に出て行く。このように四つの部屋は隔壁があり、左右の心房心室は混じることなく、また弁を介して一定方向に流れるようになっている。

 例えば、暑くて寝苦しい夏の夜、真夜中に社員寮を出て自転車を漕ぎ鹿の目がギラギラと光る山の小道を通り抜けたらそこからは一気に重力に身を任せ坂道を下り平坦な道に出たらあたりは一面田んぼしかない。田んぼの真ん中にあるようなその小学校のプールに服のまま飛び込む。カエルの声を聴きながら真っ黒い水に飛び込み体を沈めたその瞬間の快楽の為に、私は何かを躊躇することなんてない。帰り道、水を含んで重たくなった衣服が体にまとわりついて気持ちが悪いことも、自転車を押して急坂を一時間もかけて上らなければならないことも、そもそも不法侵入だということも行きは考えもつかない。ただ、冷たい水に体を沈めたら気持ちがいいだろうと思って、それだけの考えに支配される。

 例えば、非常階段を伝って窓枠に飛び移りその一、二センチほどの引っ掛かりと錆び付いて何の信用も出来そうにない鉄枠を頼りに窓から部屋に侵入する。それはさすがに躊躇した。でもそれは転落したら危ないかもしれない、という保身から来る戸惑いであり、倫理的な観念からではなかった。私の部屋の隣の隣のその部屋は、五年前までは私が暮らしていた部屋で、今は自由に行くことができない、数日前までは自由に行き来することができた、部屋。

 部屋に侵入したからといって特にやるべきことは見つからない。そういった事もやはり行きは考えもつかない。私は物事をよく考えて行動しないだとかそそっかしいところがあるだとか小さい頃から母に言われる事があったが、私が思うにそういった性質の為ではなく、どうも閉じている扉をこじ開けたいという欲求があるように思える。真夜中の小学校の閉じられた門は足を引っ掛けて飛び越える。入り口のドアに鍵が掛かっていて入れないのなら、非常階段を伝って窓から入る。閉じられているということがどうも落ち着かない。入ったからと言って何だという、何も変わらないのだけれどとにかく無理矢理にでも入ってしまわないと、閉じられたままであることが許せないという性分なのではないだろうか。

 人が掛けた鍵はこじ開けてでも入りたい癖に自分は鍵を掛けて閉じこもることがあった。

 小学四年生の時家をリフォームしてそれまではなかった私の部屋ができた。四畳半の小さな部屋だったので工夫してスペースを使う必要があり、ハイベッドを置いてその下にタンスや本棚が置かれることになった。余程安い業者に依頼したのか、工事過程でたびたびミスが起こった。階段の電気のスイッチを押すとリビングの電気が付く。両親の部屋に貼られるはずだった壁紙が兄の部屋に貼られている。そして両親の部屋のドアに付けるはずだった鍵が私の部屋に付けられていた。それらをやり直す事がなかったのはきっと、ミスった分値引きでもしてもらったのだろう。子供には知る由もないがとにかくそういう経緯で私の部屋には鍵が付けられた。鍵は付いたが使ってはいけないと母に口酸っぱく言われていた。しかし私は早々にその約束を破り母と喧嘩するたびに鍵を掛けて部屋に閉じこもるようになった。その度母が「開けなさい!」と怒鳴り声を上げながらドアを叩くから、薄い板張りのドアには凹んだ部分が何箇所もあった。

 中学生の頃、母と喧嘩して鍵を閉めたまま昼寝していたら、屋根を伝って窓から母が部屋に入ってきた事がある。必死の形相で部屋に入ってくると、怒られるのかと思ったら「よかった」と言って泣いていた。

 

 あの男の部屋にはドアがなかった。代わりに枕元にはいつも金属バッドが置いてあり、それが施錠された扉の代わりだった。部屋というか家というか、寝起きしている場所に入口というものがそもそもなかった。彼は造船所にあるプレハブ小屋の二階にテントを張って寝泊まりしていた。外灯のない暗い道を進むと、行き止まりにある門扉がおそらくその敷地で唯一の扉と言える物だった。ギイ、という錆びついた音を立てて門扉を開くと、細い下り道がプレハブの建物へと続いている。右手には竹藪を切り崩した斜面があり、左手には海、入江のようになっていて、すぐ向こう岸は泳いでも行けそうなくらい近かった。滑り落ちないように気をつけながら下って行くとその正面に錆びついたプレハブの建物がある。一階に置いてある修理途中の小型クルーザーの合間を抜けて進むと、白いプラスチック製のテーブルセットと折り畳み椅子が数脚、その奥に唐突に冷蔵庫が二台置かれていて、冷蔵庫には鎖が巻かれ南京錠が掛けられていた。左手に流し台があり、その横に洗濯機、その裏へ回ると錆びた鉄階段がある。階段を上がり切った先には扉などはない。二階にはロープやら工具やら錆び付いたよく分からない物(おそらく船の修理に使う物)が転がっている。そこに箪笥が二棹、籐で作られたミニチェストなどの家具、事務机が二台、丸テーブル、椅子が数脚、長机の上にはカセットコンロ、そのそばに鍋、フライパンなどの調理器具、炊飯器があり、三、四人用の大きめのオレンジ色のテント、一人用の小さい黄緑のテントがざらついた床板の上に設置されている。部屋の隅から隅に洗濯物を干す為のロープが張られ、ハンガーがぶら下がっている。いくつかの投光器がその空間を照らしていて、排他的な雰囲気を醸し出していた。海側に面するプレハブの壁面には大きな窓がある。窓に面した特等席に座ってコーヒーを飲みながら煙草を蒸かし、そこから海に沈む夕日を眺める事を彼は気に入っていた。彼のそのお気に入りの瞬間は、そこで一緒に寝起きしていた女によって支えられていた。彼が「マネージャー」だと私に紹介したその女はテントの中でスーツに着替え、仕事に通い、下で働く造船所のおじさんに家賃二万円を毎月支払い、洗濯をしご飯を作り実家から運んできたテレビをオレンジのテントに運び込み、まるでままごとのような暮らしをし甲斐甲斐しく彼の世話をしていた。

 壁と壁と天井で区切られ扉のある空間は鍵が掛かっていようが掛かって無かろうが、扉が開いていようが開いて無かろうが、自分の家や自分の所属している施設の、所属している教室等ではない限り隣接する家でも壁一枚隔てた隣の教室でも勝手に入ってはいけない場所だということはわかっている。だからそれは建物でなくてもそうで、人間の皮膚は壁や天井のようなもので私の皮膚の中に閉じ込められている空間が内側であるとして、外側の、他人の皮膚のその中にある空間は勝手に入ってはいけない場所であるということを分かっているつもりだった。壁で隔たれた空間も他人の内側も一度入ってもいいよと許可を得られれば自由に出入りする事になる。

 だけど混乱するのが、同じ場所であっても時間割によっては入ることが許されるということで、所属しているクラスの体育の時間には体育館に行ってもいいけれど、隣のクラスの体育の時間に体育館に行ってはいけない、或いは音楽の時間には音楽室に、四角い枠で縁取られ1、2、3、4、5、と分かりやすく表に記されていればまだ分かるものの、他人の内側には時間割というものがなく、昨日まで踏み込んでよかった領域であったとしても、ある日突然「距離を置きたい」と言われてしまう。それが私にはずっとわからない。それは私にとって唐突なだけで相手からすればずっと合図も出していないのに勝手に踏み込んで来ている事に違和感を感じていてついに注意をした、という事なのかもしれない。

「鮭の遡上」

 寝ているとき随分汗をかくと思ったら涙だった、床が涙で濡れて小さい水たまりが出来ていたんだけど、汗も涙もしょっぱいから海、ちっさい海が出来てたの。

 ちゃんとベッドの上で寝たはずなのに床の上で目が覚めて腰がバキバキでいたかった。もうすっかり、四半世紀前に失われた腹筋の代わりにベッドのあしを掴んで必死によじ登って、寝ぼけながらもちゃんとベッドで寝たはずなのに朝目が覚めるとまた床の上だった。これはあれだ、昨日打ったワクチンの新手の副反応に違いない。おまけに打った方をかばって右腕を下にして寝たから、打ってない方の腕がいたい。いたいよういたいよう。

 それにしても泣きながら眠るのは危険なことで、泣いて鼻が詰まって危うく窒息死するところだった。それに鼻が詰まったら川に帰れなくなると聞いたことがある。

 鮭は川で孵化し、雪解け水と共に海に出る。海を回遊して青年期を過ごして、三年から五年の月日が経ち成長した鮭は思い出したかのように川に帰ってくる。流れに逆らって川を登り、道中パートナーを見つけ、ペアとなった二人はやがて丁度いい感じの川床にたどり着きメス鮭は産卵、オス鮭はすかさず放精、めでたく繁殖を終えると一週間から十日ほどで死去、受精卵は一ヶ月ほどで孵化、そして雪解け水と共に海へ……というサイクル。鮭はなぜ生まれた川に戻って来ることが出来るのかというと、一説には匂いを記憶しているからだ、という。

 私はこの鮭のサイクルに関して、腑に落ちない点がいくつもある。まず、産卵のために川に帰るというのなら、そもそも産卵するつもりのないメス鮭はどのような一生を送るのだろうか。もしくは産卵する気はあるものの「里帰り出産しない派」は現れなかったか。または、私のように鼻が詰まって帰る川が分からなくなったアホの子。道中パートナーが見つからなかった鮭はしれっと海に戻るのか。川まで行ったもののダムかなんかになってて川床が無くなって「川どこ?」状態の鮭はどうだろう。

 鮭の生体については小学校の理科の授業で習った覚えがある。もしくは、国語の教科書で「母なる川へ」のような文章を読んだ気がしないでもない。その時もダムの建設などの環境破壊によって帰る川がなくなった場合だとか、環境ホルモンによって繁殖行動に異常を来す等の話も聞いたのかも知れない。

 わたしはあなたの匂いが好きで、同じ石鹸を今も使ってる。牛乳石鹸はいつの頃からか、牛の絵の刻印ではなく「CAW」の文字が刻まれているだけのちゃちい姿になってしまって私はがっかりしてるんだけど、あなたはそのことに気が付いた?それとももう違う石鹸を使っているのかな。本当のことを言うとあなたのTシャツの襟ぐりの匂いとか首筋の匂いが特に好きだったんだけど、あれは川床じゃないのかな。筆舌し難いのだけれど、わたしは記憶しているよ、あの匂いを。

 鮭は繁殖を終えて死ぬまでの間どう過ごしているのだろう。繁殖後すぐに死ぬ印象があったけど、考えてみたら五年の人生のうちの一週間は人間の人生に当てはめると四ヶ月くらいはある。丁度いいね、と思った。

 自分が作った麦茶は生臭い気がして美味しくないのは何故なんだろう。

 本当のことを言うともうあの匂いがよくわからなくなった。あれからずっと匂いがしないんよ、わたし。

「お手玉遊び」

「お手玉遊び」は、母から娘へ、代々家庭の中で伝承されてきた。

お手玉を作ることで裁縫を覚え、遊びの中で数の数え方を覚え、友達とあそび、社交性が芽生える。お手玉遊びは教育の側面があった。

「手玉に取る」の手玉とは、この、女の子が遊んでいたお手玉のことで、

相手を意のままにすること、翻弄する、ということ。

 あの時、なんでお母さんに電話したんだろうね。

お母さんは「悪いところは直すからって、そう言いなさい」と言った。でも、直すところはないのだと、彼は言った。直すところがない場合、どうすれば直るのだろう? どうすれば元に戻る?

 最初に右手に2つ、左手に1つのお手玉を持ちます。右手に持っていたお手玉を左へ、左のものを右へ、右手にあるもう1つをまた左へ、という順番で投げます。右手に持っていたお手玉を左へ、左のものを右へ、右手にあるもう1つをまた左へ、

 喉の奥が締め付けられて苦しいです。肺が圧迫されて苦しいです。心音もうるさく、絶えず耳の奥に響いています。心臓は中央より少し左側にあるので、身体の左側がより生きにくく感じます。本当に知らなかったのだけれど、気持ちをぶつけ続けるとそれは暴力になります。きれいだとおもっていたものが全部、わたしの中から出てくるものも、外のものも区別無く、汚いものになってしまいました。

右手に持っていたお手玉を左へ左のものを右へ右手にあるもう1つをまた左へまた右へ、わたしご飯食べてないの、熱があるの、背中が痛いからさすって、怖いからそばにいて、今日も眠れない、お酒を飲み過ぎた、薬を飲み過ぎた、かなしい、かなしい、かなしい、そうでもない、ふつう、よくわからない、よくわからないけど、思い出す、思い出すと、しにたい――、そうやってあなたの心配を奪い尽くそうと、した――

 放り投げたお手玉は放物線を描き、私の手のひらに返ってきた。

自分がしたことは必ず自分に返ってくるから、それは宇宙の法則です。ピンとこないまま聞き流していた言葉を今、思い出す。

✳︎

水道はどうやってここまで来てるのか/高低差、重力、それともコンプレッサー/ググらない知識/隣り合う相談して決める/殴り合う/重力が落ちてきた、また重力が落ちてきた/ふくらはぎ、地面を蹴って血が巡る/重力に逆らって、上へ上へ、/身体はいつも私にくっついてくるから、それを時々引き剥がす/高低差、重力、それともコンプレッサー

<了>