お手は待てができない

 一

 為山幸太郎(ためやまこうたろう) 2022年5月18日 15時49分

 昨日、お手を見た。コインランドリーの前で紐に繋がれていた。可哀想だから解いてやると、おなかが空いていると言う。手に提げていた袋の中からシーチキンをやったが、ぷいと鼻を背ける。贅沢な犬だ。仕方がないから行きつけの飲み屋に連れて行ってやった。お手は美味しそうに稲荷寿司とローストビーフを食べた。

 ✳︎

 床のコンクリートにはヒビが入っている。ヒビ割れは部屋の端から端までふにゃふにゃと線を描いていて、為山さんはちょうどその線の向こう側に椅子を配して座った。ソーシャルディスタンスのために床に貼られたテープみたいな、はたまた38度線のような。為山さんはその線を越えてはいけないと思っているかのごとく、不自然な足の曲げ方をしている。この部屋には普段は椅子は一脚しかなくて、その日は急に為山さんがやってくることになったので、私は脱衣室に置いてあるニトリの丸スツールを取ってきた。こんな椅子しかなくてすみません、と椅子を差し出すと、いやいいですよ全然、そう言ってレンコン穴のスツールに腰掛けるや否や、為山さんは言った。

「最近近所の子供たちがよく遊びに来るようになってね、道路に面してるから外で遊ぶのも危ないし、まあうちの稽古場使ってない時だったらいいわってことで子供たちの遊び場になりつつあって、俺の周りでぐるぐると、鬼ごっこしたりボールで遊んだりとまあやかましいんだけどイヤホンしてりゃあいいし。広い稽古場の真ん中にテーブルと椅子を置いて仕事してて、その周りを鬼とか勇者とかが駆け回ってるのみてると俺の配置なんなんだってなるんですよね、配置っていうか、役っていうか」

「あの広い稽古場の真ん中に座ってるんですか、私だったら端に居そうだけど」

「端にテーブル置いていた頃もあったんですけど、真ん中にいた方が来客の発見早いなってなって、イヤホンして画面見て仕事してるとほんと気配とかわかんなくなるんで」

「なるほど」

「だからそういう配置なんです、とにかく。ちびくろさんぼの虎がギーになる円の真ん中なんですよ、配置的には」

「ギーってなんですか」

「インドのバターです」

「インドの話でしたっけ、あれって」

「そうですよ、ベンガルトラが出てくるでしょう」

「ギーってアーユルヴェーダの施術にも使うんですけど、時々思うんですよね、俺の周りを回っている子供たちが溶けてギーになる、そのギーで目を洗いたいなって。目の周りに小麦粉をこねて、メガネのように土手を作るんですよ。眼球に精製したギーを流し込んで目を洗うと、スッキリするんですよね、この時期はもう目がしょぼしょぼですよ、ヒノキ飛んでるでしょう。それで気づいたんですけど、目に入れても痛くないっていうことわざあるでしょう」

「はい」

「あれだなって。ただ、あれって意味としては可愛くてたまらない、溺愛みたいなことでしょう、でも別に俺は可愛くないんだよね、あいつらのこと。ただ目の中に入れたいなっていう、目の中に入れても痛くない、でもあるけどちょっとちがうかな、目の中に入れたいし入れても痛くない、かなぁ」

 二

 為山さんにはそういうところがある。何の話をしているのかよくよくこちらで考えなければ気がつかないのだけれど、常識とされるものをいつも疑っているし、表情は笑っているんだけれど、皮膚の下では何を考えているのかわからない。だから為山さんが笑ってるな、と思って、話が弾んで調子に乗って、つい為山さんを誘おうとしても私の希望が通ったことは一度もない。

 あの時もそうだった。

「今度いつ休みなんですか、動物園に行きましょうよ」

「行きませんよ」

「え、何でですか」

「動物園は一人で行くものです」

「えー、じゃあ二人で行くところってどこなんですか」

「ディズニーランドとか」

「じゃあディズニーランド行きましょうよ」

「お金あるんですか」

「ありません」

「じゃあ行きません」

「じゃあ、どこだったら一緒に行けるんですか」

「七尾さん、チンパンジーが群れ全体で子育てをする話、知ってますか?」

 為山さんは体を斜めにして椅子に腰掛け、チンパンジーの話をはじめた。チンパンジーはメス一頭が多数のオスと交配し、どの相手との子供かわからないから群れ全体で子育てをする、いいと思いませんか? この話をこのタイミングでしている意味を私は読み解かなければいけないが、すでに考える気力を使い果たしていた。こうやっていつもはぐらかされてしまう。為山さんは相変わらずコンクリートのヒビ割れを越えない。

 為山さんがやってくるのはいつも真夜中で、大抵ビールを何本か手土産に持って来てくれて朝方まで飲む。朝には灰皿に吸殻がいっぱいになっているんだけど、為山さんが吸っているのは煙草ではないことを最近知った。自分の煙草がなくなった時によく為山さんの煙草をもらって吸っていたんだけど、ある時「これ葉巻なんで肺に入れたらダメですよ」と言われて、「え、でももうすでに何度も吸ってるんですけどこれ、何で最初に言ってくれなかったんですか」と聞くと

「口に含むものは全部毒だと思って疑わないと。人からもらったものを安心して口に含むんじゃありません。よく観察しないと。観察も練習ですよ、動物園に行った方がいい」と言われた。

「え、じゃあ動物園行きましょうよ」

「動物園は一人で行くものです」

 為山さんはハグをする時、すっぽり両腕で私の頭ごと包み込むから、圧迫されて肺が苦しくなる。為山さんのハグの力加減には強弱があって、為山さんがぎゅうっと力を強めるたびに、このリズムに乗ればうまくいくかもしれない、と言う勘違いをしてしまい、あの日はついうっかり、彼女にしてくださいと提案してしまった。

「しません」とあっさり却下され散り散りになった私の言葉は鼻息で舞う煙草の灰より軽かった。

 為山さんは、これもう読み終わったんで読んで良いですよ、とまるでお気に入りの小説でも貸してくれるみたいに競馬新聞を置いて帰って行った。

 三

 その日私は、珍しく為山さんを引き留めることに成功し、為山さんはうちに泊まっていった。為山さんはぐうすかと寝息をたて眠っていて、私は為山さんの肩に頭を預け、部屋に差し込む薄明かりに照らされる為山さんの顎のひげを見ていた。明け方になり雨が降り出した。雨は見ていないのだけれど、サーっという音を聞いた。サーサーサーはやがてザーザーザーに変わっていって、それでもすぐ背後にある窓は振り返らず、相変わらず為山さんのひげを見ていた。

 音を聞きながら、「皐」という字を思い出していた。それは為山さんが競馬新聞を広げながら、ああでもないこうでもないと皐月賞の予想を立てていた時に語られたことだった。

「それにしても、皐という字は天孫降臨感ありますよね」

「え、どういうことですか?」

「白という字の下に十字があって、横棒の上にチョンチョンが左右にあるじゃないですか、それをさ、瓊瓊杵尊が手に持った稲穂をぱらぱらと、蒔くんですよ、半分、そうすると白米になりますよね」

「え、ちょっとわかんないです」

 為山さんは私のテーブルの横にあるプリンターから勝手にコピー用紙を引き抜き、図解した。

「サ、という音は稲とか麦とか、植物が風に吹かれる時にたてる音なんだけど、穀物が体を掻く音、っていう感じもしますよね、風が植物の肌を掻いて、掻いて剥がれ落ちてパラパラと脱粒する籾種、みたいなイメージも皐という字から感じるよね」

「へー、そう言われればそんな感じしますね」

「韓国語で米は쌀(ッサル)、稲サイドからの声を食べる感じするよね、日本の米(コメ)はまあ呪詛っていうか、一千年の願望、みたいな、すごい弾力性っていうか、顎発達したなっていう感じがする」

 為山さんは体をほとんど壁に向けて、時々首をこちらに傾けながら話し続けていた。

「為山さん、私下の名前皐月って言うんですよ」

「え」

「五月生まれなんで、皐月」

 為山さんは突然勢いよく立ち上がり、目を丸くして私を見下ろした。

「あ、やっぱり知らなかったですか……名前……」

「皐月賞……」

「え?」

「皐月賞の神じゃないですか」

「……何言ってるんですか……」

「いや、恥ずかしながら……実は馬の顔が全部同じに見えるんですよね……」

「え」

「AKB全員顔一緒に見えるみたいな現象だと思うんですけど、個体性がわからないんですよ」

「AKBはまあ、そうですね、私も見分けられないですけど……よく見ればわかるようになるんじゃないですか? 為山さん動物好きじゃないですか、それでも馬はわからないんだ」

「恥ずかしい……」

 そう言って為山さんはようやく椅子に座り直し、両膝の上に手を置いてうつむいていた。

「私はわかるんですか」

「え?」

「私の顔は、他の人と違いますか?」

「何言ってるんですか、当たり前でしょう」

 そんな会話を思い出し私はにやけながら、相変わらず為山さんのひげを見ていた。

 四

 翌朝、雨は一層激しさを増し、ザーザーザーはザンザカザンザカに変わり、やがてザブンザブンに変わっていく。大波が押し寄せているかのような音がする。このまま降り続けば一帯は海に戻るんじゃないだろうか。ここいらは埋立地で、一本向こうの通りに面する川向こうはかつて海だった。数年前、ゴマフアザラシが川に迷い込んでニュースになったこともあったし、河口に近いため簡単に海に還ることができるんじゃないだろうか。私は夜眠る時、よく耳栓をするんだけれど、耳栓をしていると海の底に居るみたいで安心する。海の底になんか居た経験がないのにそう思う。海底の砂を掌で撫でていると、こぽこぽと音をたてて無数の気泡が空を目指して駆け上っていく、そんな感じがする。小さい頃プールにぷかぷかと浮いている時もこんな感じがしたかもしれない。

 だけど為山さんが横で眠っている時はもっと静かだ。為山さんの寝息や外の音は耳に入るのだけれど、なぜかとても静かで、真空に放り出されたような心地がする。荷電粒子が降り注ぐ地球で生きていける場所が海の底だけだった頃、きっと私たちは海の底で呼吸していたのだろう。内側から空へ上って、私の気泡と為山さんの気泡が、空で一緒になる場面を想像した。

 外からは電車が通り抜けるゴーっという音、子供たちの声が雨音とともに微かに聞こえて、多分8時半頃なのだろうと思ったが時間は確認しなかった。為山さんは一度、ベットからずり落ちそうになり、おっという小さい声と共に体を反転させてこちら側を向いて寝姿を正した。私はどさくさに紛れて為山さんに抱きつき、キスをしたが無反応だった。

「何時……?」

 しばらくして為山さんは目をつむったまま私に尋ねた。

「わからない」

 私が答えると手をパタパタして布団の上を這わせ、スマートフォンを見つけ時間を確かめる。

「9時か」そう呟くと為山さんは素早く体を起こして身支度を始めた。ここが為山さんの家だったらいいのに。仕事が終わって一杯飲んで、夜また帰ってくればいいのに。

 あーあ、あーああーあ、あーあーあーあー。

 玄関を出る時、為山さんに傘を手渡した。「ありがとうございます、それじゃあ」そう言って傘を開き、横殴りの雨の中颯爽と為山さんは出て行った。

 為山さんを見送った後、しばらく椅子に腰掛けて、高いところから石が転がっていく様子を想像していた。石はただ落下するばかり、転がり転がり、小さくなり、やがて砂利となり、砂となり、海の底の泥となり、見えなくなった。そうなるのに一千万年が経過していた。

 もう一眠りしようと寝室に戻ると、ベッドカバーが綺麗に整えられていた。タオルケットは四つ折りに畳まれている。

「いつの間に……」まるで手品のようだ。

 五

 海を見る。為山さんは海を観る。為山さんがよく海を見に行っているという話は幾度となくお酒を飲みながら聞いていたけれど、いざ現場を見ると、想像しているのと随分違った。

「海を見に行きますか」

 為山さんがそう言った時、ロマンチックな光景を想像したことを私は今恥じている。まず、白い砂浜を想像していた私は出鼻から挫かれた。着いたその場所は見渡す限りの岩場、干潮の時間を狙ってやってきた為、岩肌はあらわになりところどころ海水が溜まっている。ぷんと磯の匂いがして、コンブだかワカメだか、何かの海藻が岩に張り付いていた。海に着くと為山さんは岩場まで躊躇することなく進み、そのまま岩と岩にまたがる姿勢で足を掛け、しゃがみ込んで潮溜まりを覗き込む。海面が鼻先に付くんじゃ、と心配になるほど顔を寄せて、為山さんは真剣な眼差しで海を観る。そうだった。為山さんの見るは観るであった。

「あーもう永遠に見てられる」「すごいすごいすごい」「ヒライソガニだー」とか何とか言いながら、為山さんは海に張り付いている。為山さんはビーチサンダルのまま、躊躇することなく海水に足をつけた。半ズボンをはいている為山さんのぎりぎり膝の下くらいまで水に浸かりながら夢中で観察を続けている。私は足首まであるワンピースで来てしまったので岩の上から為山さんを観察していた。このワンピースは為山さんと初めてホテルで一夜を共にした際に着ていたワンピースで、タオル地のような素材でできている。その朝、あちこちに散らばった二人の服をベッドの中で捜索している時に為山さんは間違ってタオルを私に差し出してしまい、「あ、これはリアルタオルだ」と真剣な表情で呟いた。それ以来このワンピースは私のお気に入りとなっている。

「海の生き物を観察していると思うんですけど、魚とかカニとか小さいエビとか、みんなかなり俊敏に動くんですよね、で、その背後でゆっくりと動くウニやヒトデ、アメフラシとかウミウシがいて、全く微動だにしない石とか岩とかがあって、波が行き渡る。溜まりの中では時間というものが感じられない、そういう縛りがなくてかなり自由だなと。それは多分、個々の生き物が自分の意思によって行動しているというよりは、無意識による態度っていうか、その時その時反応しているからなんだろうと思うんだけど、なんかそういう感じでありたいんだよね、自由であるためには俺の意志とかいらない。態度、そうだ、態度プールだ」

 為山さんは海に立ち、岩の上にいる私を見上げてそう言った。波が為山さんの足にぶつかり泡立ち、綺麗だと思った。

「為山さん、今日何でここに連れて来てくれたんですか?」

「さあ、何となく」

 六

 七尾皐月はカレーをあまり煮込まない。具材をカットすると肉と玉ねぎを炒めている間にじゃがいもと人参は電子レンジ1000ワットで1分半チンする。チンした野菜を鍋に入れて水を投入しIHクッキングヒーターで加熱、蓋をして20分タイマーをかけて最大火力で煮込む。その後ルーを入れて出来上がり、なのだが、大抵タイマーが鳴る1分前にはスイッチを手動で切る。タイマーの音はどうも苦手だ。目覚まし時計も絶対に鳴る前に止める。終わりを告げる合図はどうも癪に触る。

 調理に限らず、七尾は「時短テク」を多用する。例えば、七尾は洗濯物を畳まない。ランドリーで洗濯乾燥するとランドリーバッグに入れてそのままそこから使用する。衣類はシワになりにくい素材の物を選び、靴下は片方がどこかに行くと探すのに時間がかかるので同じものを七足使っている。これは時短テクというよりは、もはやズボラなだけな気もする。

 最も特異なのは、七尾が食器を風呂で洗うことだ。風呂と言っても半畳ほどの狭いシャワー室でバスタブはない。七尾はシャワー室の床に置かれたステンレス製の洗い桶にその日使用した食器を溜めていて、夜シャワーを浴びる時に一緒に洗う。脱衣室で服を脱ぎ、シャワー室に入るとまず全身にシャワーを浴び、次に頭をシャワーで流す。そのままシャワーを止めずにシャワーヘッドの角度を洗い桶の方へ向け、湯を溜める。その間シャンプーを泡立て頭を洗う。泡を流し、リンスをすると手をゆすぎ、しゃがみ込んで食器を洗う。スポンジで食器洗い洗剤を泡立て、全ての食器を洗うと再び洗い桶に戻し、頭を流す。食器を洗う間にリンスが髪に浸透すると信じているのだ。顔を洗い体を洗い、全身の泡をすっきりとシャワーで流すと、最後に食器を一つ一つ洗い流す。脱衣室で体を拭いた後、棚の天板に敷いた布巾の上に食器を並べる。

 七尾は待つことが苦手である。リンスが髪に浸透するまでの時間を待てないし、野菜に火が通るまでの時間を待てない。だから七尾にとって、送ったラインの返信が永遠にないことほど苦しいことはない。

 その日七尾は仕事が休みで、午前中に映画を観に行き、午後帰宅するとカレーを作った。タイマーをかけている間にランドリーに行き洗濯をした。効率よく家事をこなし、椅子に腰掛け窓から差し込む光がテーブルに落ちるのを眺めていると、七尾にとっては苦痛でしかない、何にもない瞬間がやってきてしまった。七尾はスマートフォンを取り出し、為山にラインを送った。

「カレー作ったんですけど、食べます?」

 ありがたいのかありがたくないのか、ラインの送信メッセージの横に付く小さな「既読」の文字を夕方確認し、七尾は散歩に出かけた。返信が来たら帰宅してカレーを温め直すつもりで歩き続け、来たこともないタワーマンション群に囲まれていた。石畳の道には同じように植物が配された植え込みが左右対称に並んでいる。白い花びらの中心に黄色い円形が、まるで目玉焼きの様な姿をしているハルジオン、鮮やかなピンクの花、カラスノエンドウ、おなじみのタンポポなど、数種類の雑草が同じ様に配された植え込み。あえて雑草をいいバランスで植えるのが金持ちの間でおしゃれとされているのだろう。お腹が空いた。お腹を満たしたいけれど家に帰ればカレーがあると思うと、勿体無くて七尾はコンビニに寄ることができない。目の前を通り抜ける自転車の、フードデリバリーの四角いリュックの人。うちまで行ってカレーを取ってきてくれよ、と七尾は思う。

 日が暮れた。家に帰ろう。日付が変わるのを待って、七尾は冷蔵庫にカレーを鍋ごと仕舞う。

 七

「カレー作ったんですけど、食べます?」

 為山は考え込んでいた。一体どんな文脈でこのメッセージが送られてきたのか、見当も付かない。その前に為山が送ったラインは「仕事があるんで」だ。その前に七尾が送ったラインは「今日動物園行きませんか?」

 なぜ、仕事があると送信したにも関わらず、カレーを食わそうと考えるのか、辻褄が合わない。為山は数秒考えたが、やっぱり理解不能だったのでそのままスマートフォンをズボンのポケットに仕舞った。

 仕事を終え帰り道、弁当でも買って帰ろうかとスーパーに向かっている途中、ふと思い出した。日中のあのライン、もしや配達をしてくれるという意味だったのではないだろうか。「カレー作ったんですけど、食べに来ます?」ではなく「カレー作ったんですけど、食べます?」だったことを思い出す。為山はスマートフォンを取り出し、画面をスクロールして再度確認した。

「仕事があるんで」

「カレー作ったんですけど、食べます?」

「食べます」

「配達の希望時間はありますか?」

「7時くらいにお願いします」ということだったのだろうか。

 いやしかし、家庭のカレーを配達するサービスなど不自然である。為山はまたすぐに考えるのをやめ、スーパーには寄らずラーメン屋に向かった。

 為山には七尾の行動が読めないことが多々あった。先日海に行った時もそうだった。為山はいつものように膝まで海に浸かりながら潮溜まりの観察をしていた。七尾は岩場の上から四つん這いになりながら覗き込んでいる。

「すごいメダカいっぱいいますね!」

「は?」

「ほら、そこすごい小さいメダカが! あ、そこそそこ! すごいスピードですね! 何匹いるんだろう」

 為山は溜まりを行き交うボラに目をやる。

「七尾さん、海にはメダカはいませんよ」

「え、あそうか、ここ海でしたね」

「何言ってるんですか」

「潮が引いてるんで、水溜りのこと考えてたかもしれません」

「水溜りだったとしても、メダカはいませんよね」

「でも私、小さい頃お風呂にサメがいるかもって思って、怖くて入れない時期あったんですよね、いないってわかってるんですけど、油断したら勘違いする時ってないですか?」

「ないです」

 為山は七尾と話していると頭が混乱する。小さな潮溜まりの中で海洋の生態系の縮図を見ることが出来るというのに、メダカ。なぜ突然淡水魚を投入してくるのか。マッドサイエンティストなのか。あまり考え込みたくないのだが、七尾をよく観察出来ていないから分からないのかも知れない、そう思って振り返ると、七尾は岩の先端で両手を広げて立っていた。足首まである布のような服を纏っている七尾はまるでゴルゴタの丘に立つイエス・キリストのようだと為山は思った。それともモーゼの海割りでも演じようというのか。

「見て~為山さん、タイタニックみたいでしょ?」

「いや、モーゼの海割りだ」

 八

 フェイスブックで見つけた人を占っていた。

 タロットを初めて一年くらい、初めは自分や家族、友達など、周囲にいる人たちを占っていたが、会社勤めもしておらず、知り合いが圧倒的に少ない私は早々にやり尽くしてしまった。もっと占いたい。占い師になる気などはなく、ただの趣味でやっている。

 そこで気がついたのがフェイスブックだった。フェイスブックのプロフィール欄に生年月日が記載されている人を片っ端から占った。有名人ではない人のアカウントで、顔写真がある人を探し、占う。ただそれだけで初めは楽しかったのだけれど、百人くらい占ったところでだんだんと物足りなくなっていた。もっと情報が欲しい。

 そこで、日記の投稿をしている人を探した。まず生年月日からソウルカードを導き出し、その人の性質を知る。その後日運を出して、日記と照合する。悪趣味だと言われるかも知れないけれど、個人の楽しみとして日々こうして占っていた時に見つけたのが為山と七尾だった。

 そんなわけで、為山と七尾を占っているのはもちろん本人達からの申し出を受けてのことではない。知り合いでも何でもない。勝手に占っている。

 最初に見つけたのが為山幸太郎だった。為山の日記は群をぬいて面白かった。いや、これは日記ではない。日記として読むこともできるが、文体が独特で、エッセイ調の創作として楽しむことができた。毎日ではないが定期的に投稿されるその文章に私は魅了され、そのうち七尾の存在に気がついた。

 為山のフェイスブックには近所で飼われている「お手」という名前の犬がたびたび登場した。何度も熟読するうちに気がついたのだが、お手は犬ではない。実在する人物を擬人化ならぬ、擬犬化しているのだとある時気が付いたのだ。私はお手が一体誰なのか、為山のフェイスブックの友達、727人の中からまず、犬のアイコンを探した。該当したのは23人、その中にお手はいなかった。念の為、その他の友達704人も調査したが該当者はいなかった。おそらくお手はSNS上の繋がりのない人物なのだろうと推測された。そこで私はもう一度為山の投稿を見直すと、2020年10月のある投稿が目に留まった。それは為山が勤務する劇場で開催された映像上映会でのエピソードだった。いつもはアイロニーに満ちた表現を多用する為山の文章にしては珍しく、ほんわかとした余話として印象を残していた。

 為山幸太郎 2020年10月5日 2時43分

 此程、劇場にてコロナ禍になってから初めての映像上映会を開催した。新型コロナウイルス感染症対策として、入り口に手指の消毒液を配し、検温機を設置したのだが、この検温機が問題であった。スタンド式の手をかざすだけで測れる便利な品物なのだが、まだ世の中に周知されていない仕様とあって、使い方が分からない人が多く見受けられた。私は様子を見ながら、立ち止まってる人には説明をして対応していた。数人に対応するうちに、大体こうですよと、手をかざすジェスチャーをするだけで理解されることが分かった。

 開演直前のことだ。最後に駆け込んできた女性が検温機の前でぴたりと立ち止まっている。対応に慣れた私は先ほど得た知見から、手をかざすジェスチャーをして動作を促したところ、女性は私の手のひらに手のひらを合わせて、静かなハイタッチをした。お、と思わず声が漏れた。犬の肉球のような感触であった。 

 九

 そこから「お手」を特定するまでには随分難航した。「お手」は2020年10月に、為山の勤務する劇場でコロナ禍に行なわれた最初の上映会に足を運んでいる。私はまず、その上映会について調べることにした。それはコロナ禍に世界各国で撮影されたショートフィルムを数本上映する「ショートショートとロングコロナ」と題された催しだった。

 為山のフェイスブック投稿の閲覧と並行して、為山が勤務する劇場が放送しているコミュニティラジオの配信もインターネットで聴取していた。その番組では為山が放送に出てくることはなく、劇場のディレクターであるTAKIYAMAという人物がパーソナリティを務めており、TAKIYAMAは時々流暢な英語を挟み込みながら喋るのだが、話しぶりがどうしても気障ったらしく感じられた。

 そしてその瞬間はいつものように番組を聴いている時に訪れた。番組内では、近隣に住んでいる人、働いている人をゲストに迎えてトークする「IDOBATAミーティング」のコーナーがあり、その日のゲストは劇場近くのカフェに勤務する女性だった。女性は簡単な自己紹介をした後、カフェのおすすめメニュー、スフレケーキの紹介をした。

「オーダーを受けてから卵白を泡立てて生地と合わせるんですけど、焼くのに最低二十分かかるんで、なるべくオーブンに入れるまでの工程を急いで作業するんですけど、そうするとよく、トングをつかんだ手をアツアツのオーブンのふちにぶつけたり、熱したココットを手で掴んでしまったりして、火傷が多いんですよね。提供するのにどれだけ急いでも三十分はかかってしまうんですけど、焼き上がりはふわふわのぷるぷるで、ココットからモグラ叩きのモグラくらい中身飛び出してて、でもほんとにすぐにしぼんでしまいます。だから出来立てをすぐに食べてほしいんですけど、こんなに待たせたのにすぐに食べろって、なんか酷かなって思いながらいつも提供してますね」

 TAKIYAMAが「ええー、大変だねー」とか「見してみー、わー、ほんとだよ Oh my goodness! すごい火傷してるじゃん」と、癪に障る合いの手を入れながら話は進み、女性は質問に促されるままに、話の最後に劇場に来るようになるきっかけとして、初めて来た時に見たのが「ショートショートとロングコロナ」のイベントだった事、お店を閉めてから駆けつけたので開演直前ギリギリで滑り込んだことを話した。彼女の名前は七尾皐月、私はようやく「お手」を特定することができたのだった。私はあっさりと七尾皐月の生年月日を知る。為山の「友達」727人には含まれていなかったが、氏名が判明して検索するとすぐにフェイスブックアカウントが見つかったのだ。

 七尾を占って驚いた。為山と七尾はパーソナルカードが同じ「隠者」のカードだった。二人は似たもの同士だ。いいところと悪いところが似ている。ただし、為山幸太郎はちょっと過去に囚われやすいところがある。それに、せっかちには見えないんだけれど、何か問題が起きた時には必要なくなったものを即座に手放す、そうやって解決したつもりになるのが為山だ。そして為山は心の奥底では誘惑や夢に耽溺する気質がある。現実を直視しようとしない傾向もある。

 一方で七尾皐月は、ぼんやりしてそうに見えるんだけど、割としっかりと現実を見据えているタイプである。実行力があって、こうすると決めたら即行動する力がある。ただ、常に突拍子もないこと、例えば無人島に住みたいとか今の生活と地続きでは考えられないようなことを夢見て、時には行き過ぎた行動を取ることもある。それでも着実に現実を生きている、みたいなところが七尾にはある。

 二人の弱み、それは感情と気分に支配され、不安定で混乱しやすいところ。他者とのコミュニケーションに誤解が生じやすく、周りからの理解が得られにくい。二人とも実に内省的。いつも一人でぐるぐると考え事をしている。基本的に孤独。

 良いところ、悪いところが似ている二人は、うまくいっている時はいいが、何か問題が起きた時に解決するのが難しくなってしまう。

 これはタロットによるリーディングだけでなく、為山の文章から読み取った私の主観

でもあるのだが、為山は七尾の実行力に惹かれていると思う。自分自身の過去の闇に呑み込まれてしまわぬように、引き上げてくれるような強さに惹かれているはずだ。

 十

 明け方近く、為山さんからラインメッセージが届いた。

「ポストの下あたりに傘を置きました。先日は助かりました。ありがとうございます」

 すぐに階下へ行き、玄関のドアを開けると、道路の向こう側の植え込みに生えている木が横殴りの風雨を受けて揺れていた。ポストの下には確かに、あの日為山さんに持たせたビニール傘が立てかけられている。開けたドアの隙間から雨が吹き込み、コンクリートの床が濡れる。しばらくドアを開け放っていた。コンクリートのしみはヒビ割れまで達し、遂にはその向こうまで超えた。

 この二週間、雨ばかり降っていた。為山さんから連絡が来る気配は一向になく、私は手に張り付いたスマホが剥がれなくなり、脳裏には四六時中為山さんがいる病状に見舞われていた。それなのにこちらから連絡することは躊躇われ、何か手を打たなくてはいけない、そう思っていた矢先だった。何となく、為山さんからもう連絡は来ないのだろうと思った。

 ✳︎ 

  為山幸太郎 2022年5月31日 0時15分

 或る夜の事、道を歩いていた私は深淵から響く声に話しかけられた。長い筒の底に息を吹きかけたように、声は響き渡る。

「厄介だよ。あの高台の上に立つ映画館の入ったビルにあるリングを見つけて欲しいんだ」

 私はあたりを見渡したが人間の姿はない。屈み込んでそっと深淵を覗き込んでみたが、何も見えない。

「君は誰なんだ」

「見ての通りだよ」

「見えないんだ」

「聞こえているなら十分だ。お姫様に渡す予定だったんだよ」

「そんなことは聞いていない。なぜ私に頼む」

「理由は後でわかる」

 私は丸山町の怪しげな通りの坂道をひたすら登り、登り切ってちょっと下ったところにそれっぽい映画館の入ったビルを発見した。ビルの一階にある小洒落た喫茶店を横目にエレベーターで四階に上がると指輪はあっけなく見つかった。無人の受付カウンターの上に透明のビニール袋に入った指輪が置かれていたからだ。袋には「落とし物」と書かれていた。

 私は袋を引っ掴むとすぐにエレベーターで一階に下り、道の向こう側の駐車場で一服してから渋谷駅の方へと急いだ。すると、駅前で一匹の秋田犬に声をかけられた。

「わんわん」

「おーよしよし。おや、これはダメだよ、指輪が入ってるんだ、美味くない」

「わんわん」

「これこれ、ダメだよ、きみは待てが得意だろう、やめなさい、こら、あ」

 気がつくと私は丸山町に戻っていた。顔は犬の唾液まみれ、着衣が乱れている。どうやら秋田犬の誘惑に勝てなかったようだ。案の定、秋田犬の姿はなかったが、握った拳の中に指輪はあった。

「見つかった?」気が付くと足元に深淵。

「ああ、見つかるも何も、置いてあったよ、ほら」

 私は深淵の深い闇の底に向かって握りしめていた指輪を放り投げる。

「ペッ!」

 すると、投げ入れた指輪は回転しながら水面を、一、二、三、四、五回跳ね、こちらに弾き返されてしまった。

「何だこの鉄は」

「指輪を見つけてほしいって言ったじゃないか」

「指輪じゃない」

「は?」

「リングだ」

「は?」

「ゴムじゃないんだぜ」

 深淵の魚が跳ねる。そこで目が覚めた。

 十一

 あれから為山さんから連絡は来ていない。その間二度、為山さんを見た。一度目は劇場の前で煙草を吸っている為山さんを、二度目はまいばすけっとで買い物をしている為山さんを見た。その時私は瞬時に電信柱や陳列棚の物陰に隠れて、顔を背けて立ち去った。見かけたのは本当に偶然なのだけれど、付け狙っていると思われてはいけないと思って、話しかけられなかった。いや、本当は付け狙っていた。わざと劇場の前を通ったり、普段は京急ストアーで買い物をするのに、まいばすけっとで買い物をしたりして、偶然が起きることを願っていたにも関わらずいざそうなると私は逃げ出した。

 苦痛だ。卵白はハンドミキサーで攪拌すると一分ほどで泡立つ。手動で泡立て器を使っていたらこの仕事はやってられない。スフレケーキはスピードが命だから、とろとろと作業をしていたのではふんわりと焼き上がらない。ココットにバターを塗って、生地を流し込んでオーブンに入れる。焼いている間に豆を挽く。ドリッパーにフィルターを敷いて豆を移して一投目の湯を注ぐ。蒸らしている間にボールやゴムベラをサッと洗って食洗機に入れる。二投目を注いだらオーブンを開けて素早くココットの位置を回転、三投目を注いだら珈琲を運ぶ。フロアに出たら帰りは空いたお皿を下げて、オーブンをのぞいて焼きあがっていたら用意していた下皿に熱々のスフレケーキを乗せてお客様に提供する。これをしたらあれをして、次に何をしたらいいか考えて動く。そうしていると他所ごとを考えなくていい。天職だと思っている。

 為山さん、私ちょっとでも頭の隅に隙間ができると、後悔が押し寄せて呑み込まれる。あの時のあれがきっとよくなかったんだなぜああしてしまったんだと後悔が押し寄せてああ、恥ずかしい居てもたってもいられないとその場で無駄に二周回って足をトントンと打ち鳴らす。為山さんは最後に会った時「お互い冷静になりましょう」と言って、だから私本当によくできた、今日までよくできたと思ってる。連絡が来るのを待っている、ただ待っていて、でもやっぱり得意ではないみたい。冷めてしぼんだスフレケーキ、苦痛だ。

 十二

 長いなかよしトンネルを通り抜けるとそこは動物園だった。バスを降りてしばらく、炎天下の坂道を汗かきながら上ってきたので、トンネルの日陰はありがたい。トンネル内では音楽に合わせて、動物の人形たちのショーが繰り広げられている。目をキョロキョロと動かすりんごの木の上ではキツツキが体を揺らし、丸太の上では小鳥たちが歌ったり踊ったり、水の中からはトビウオがぴょんと跳び出す。コアラの人形が指揮するオーケストラのメンバーは、グランドピアノはキリギリス、ネズミのトランペットにシマリスのトロンボーン、赤いチョッキのカバはシンバル、ウサギのバイオリンにサイとキリンはチェロ奏者。産道を抜けて人間が生まれ来るように、なかよしトンネルを通り抜けなければ動物界には辿り着けないのだ。

 久しぶりの晴天に恵まれ、思い立って動物園に来た。平日の午後三時過ぎ、園内の来園客はまばらで広々としている。夏への準備を整えつつある草木を見ているだけでだんだんと健康になってきた(気がする)。マスクを顎までずり下げて鼻腔を膨らまし新緑の匂いを思いっきり吸い込み、ついでに伸びた前髪をかき上げ額を全開にし、セロトニンを生成した。

 途中、休憩所に立ち寄ると開演40周年記念と題された家族写真のパネル展が開催されていた。小さい子供とお母さんお父さん、もしくはおばあちゃんおじいちゃんたちが写る知らない人の家族写真を見ていると、何だか申し訳なくなってくる。為山さんは動物園は一人で行くところだと言っていたけれど、世の中の人々は家族で来ているようだ。私がスマホで撮った写真はというと、オカピの尻の写真ばかりだった。

 汗をかいたので、帰りに温泉に入って帰ることにした。井土ヶ谷駅で途中下車し、Googleマップを確認しながら銭湯に向かう。うちには湯船がないので風呂に浸かるのも久しぶりだった。湯気の立ち込める浴場に入ると、洗い場で手ぶらセットに入っていたビオレのボディソープを泡立てて体を洗った。

 岩風呂は湯が真っ黒で底が見えない。恐る恐る足を沈めて深さを確かめながらゆっくりと進む。湯口付近まで進むと、肩まで湯に浸かり大きく息を吸い込んだ。両方の腕を大きく伸ばして、息を吐く。天井を見上げる。こぽこぽと湯口から出る湯の音を聞きながら目を閉じると、大丈夫、深海に行けた。大丈夫、為山さんが横で寝ていなくても、深海に行ける。大丈夫。

 無数の気泡が水面を行き交う。これはきっと老廃物だ、今日ここに来た人の疲れをしっかりと排出して、漂っている。お母さんとかお父さんとか、娘とか息子とか、嫁さんとか旦那さんとか友達とか恋人に届かなかった残念無念が黒い湯の表面で泡となる。かわいそうな皆さん。今日、私の欲情は湯気となりました。天まで登ってさようなら。さいならさいなら、そう思って岩風呂の淵に腰掛けているばあさんの浮き出たあばら骨を見ていると、きっと明日にも死ぬのだろうと思って、泣いた。

<了>